私は人見知りが激しい。
特に挨拶するだけの仲の人、いわゆる「よっ友」が恐ろしい。
大学生になると自分の意思に関係なく知り合いは増える。
人付き合いが悪い私でもその流れには抗えず、入部するつもりのないサークルの新歓や学生交流会に友達とホイホイ参加してしまった、これがよくなかった。
入学してすぐは人間関係が流動的で、誰もが模索の日々を送る。
しかし梅雨明けにはよくいる仲間で固まる。それは所属サークルの仲間や英語の少人数授業で一緒の友達のことがほとんどで、学生交流会で知り合った仲間と長く関係が続くことは、ほぼない。
するとどうだろう。
よっ友爆誕である。
しかも大量発生するから本当に困る。
このよっ友、出会って話したのに仲良くならなかっただけあって、
とにかく「微妙に相性が合わない」のが特徴だ。
知った顔なだけに、無視するのも申し訳ない。
しかし、もはや生活範囲外の人間で、共通の話題みたいなものも乏しい。
できる限り、出会いを避けたい。
そして人見知りは「よっ友」をブラックリスト化し、視界に捉えると本能的に出会わない方向へと舵を切る。
それが目的地への遠回りだろうと関係ない。
人見知りはよりスムーズに相手の視界からフェードアウトする方法を日々研究し、実行しているのだ。
人見知りというより、人が苦手、と言えるかもしれない。
とはいえ、人付き合いから逃れて生きることはできないと、自分でもよくわかっていた。
文系の大多数が新卒で営業職に就くことを考えると、逃げきるのは至難の技だ。
だったら、受けて立とうと思った。
人見知りな自分を変えようと、そう心に誓った。
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とはいえ、なかなか行動に移せず、踠いていた。
私の場合はコミュ力が貧弱で、日常会話がオタクそのもの。
なにを参考にして会話をすればいいのか、と考えていた。もうこの時点で弱者だ。
そうして行動力がないことを自身に突きつけ、元からない自信をさらに喪失した。底まで突き抜けたといって過言ではない。
そして、自分が動けないのはコミュニケーションに対する圧倒的な自信が足りないからだと考え、合理化しようとしていた。
でも、決めた以上は逃げたくない。大学生活の4年間で決着をつけないと、きっともう変われない。
うんうん悩んだ末、スーパーのレジ打ちアルバイトを使って強制的に治してやろうと決めた。
そのスーパーはもともと姉が働いていたバイト先でもあった。
共通の知り合いがいるというのは気持ちの上で大きい。
会話がオタクで挙動不審な自分が、他人からどう見られるか、想像するだけで嫌だったが、お金もないし、人見知りを超えたコミュ障だ。
これでもかと腹を括って、初日の業務に足を踏み入れた。
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ぶっちゃけ、スーパーのレジ打ちは楽勝だった。
最初こそ緊張したが、テンプレ接客だし、居酒屋と比べれば雑談もいらないし、客層も緩い。
むしろバイト仲間との交流の方が緊張した。
今をときめく女子大生6人衆、
仲良くならないタイプの同学年リア充男子、
関西なノリのおばちゃんパート、
斎藤佑樹似の高身長イケメン男子高校生、
接客以外はまるで喋らん正体不明の女子高生、、、
…いま思えば個性派揃いで、女子のレベルも高かった。いい職場かよ羨ましいぞ。
おばちゃんパート以外との交流は苦手で、特に女子大生のお姉さん方との会話がもう本当にしんどかった。
最初の頃はオタクな側面が顔を出して、暴発もあった。
やたら早口になる、とか。(オタクあるある)
知ってることだけはベラベラ喋る、とか。(オタクあるある)
その暴発の度に、内省と自責を繰り返した。
フラッシュバックの如く突然思い出し、悶えたことも少なくなかった。
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ある程度の雑談から距離を詰める会話まで、自分なりにできるようになったのは、入社から半年以上経ったあたりだと思う。
どうやって雑談が上手く(?)なったかは正直なところ、覚えていない。
だが、try&errorを繰り返すうちに要領を掴んでいったのは間違い無い。
その半年の試行錯誤の末に、聞き上手になる術(相手に興味を持ち、深くまで話してもらえるように質問を振る_例え、興味がなくとも_)を体得した訳だから、
本当に自分は良くやったと思う。
これだけで話は終わらず、この頑張りはコミュニケーションの極みとも言える恋愛状態に発展したのも素晴らしい出来事だった。努力が実を結ぶとはこういうことか、と思った。
一瞬で破局したので、詳しく述べるべきことがなにもないのが残念だ。
退職するときにはコミュニケーションに対する大きな不安はなくなり、初対面の人とも臆せず無理せず話せるようになっていた。
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退職して2年。
よっ友問題は全然解決していないが、あの時の頑張りのおかげか、人と会って話すことに対して肯定的に捉えられるようになった。
思い起こせばこの血の滲むような努力のような頑張りは、決して圧倒的な自信によって為し得たものではないと、今は思う。
もちろん試行錯誤の結果、手応えを掴んだときはとんでもなく嬉しかったし、自信になったし、モチベーションを高めてくれた。
これは間違いない。
でも、もっともっと最初を振り返ると、
自分は自信を原動力にしていない。そもそも自信がなかった。
あったのは、「ここで変わらないともうチャンスはない」という腹の底からの意地であり、
汚くて、黒くて、ドロドロした執念みたいなものが、悶える私を突き動かした。
塞ぎ込んでも立ち上がって、他者に矢印を向けることを諦めなかった。
大学時代を振り返って、
人見知りを克服したことが必死にやってきたことの一つだと、
自信を持っていいのかもしれない。
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2年も経って、正直な話、以前よりコミュニケーション能力は衰えてしまっている。
筋力と同じように、日々トレーニングをしていないといけないらしい。
厄介な話だ。
でも、もう一回鍛えることはできると思う。
そう思えるのは、あのときの努力が報われた喜びを覚えているからであり、
本当に必死に物事に向き合えば好転することもあるのだと、あの時代が教えてくれているような、
そんな気がするから。