「彼」が亡くなって、1年が経った。
「彼」が亡くなったのを知ったのは、ゼミ合宿の最終日の夜。
同窓会ラインに突然現れた訃報を見て、とても動揺した。
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「彼」は高校時代の部活、男子硬式テニス部の仲間であり、私がとてもお世話になった友達の一人。
私の通っていた高校は1学年8クラスあり、クラスの中に同じ部活の人がいることはレアだった。
当時ウルトラ人見知りを発動していた私にとって、部活を介して仲良くなった「彼」の存在がありがたかった。性格も穏やかで、打ち解けるのは早かったと記憶している。
特に印象に残っているのは、朝練。
硬式テニス部の朝練は自主性で、先輩はいつも来ない。
時間の制約で放課後はほとんど練習できない下級生の私たちにとって、コート全面を使って練習できる機会は死ぬほど欲しかった。
嫌いな早起きだってこの時ばかりは厭わない。数少ない経験者である「彼」を誘い、冬は白い息を吐き、夏は噴き出す汗を拭い、黄色いボールを打ち返していた。
もしかしたら、テニス以上に、そんな時間が好きだったのかもしれない。
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「彼」の通夜は、私が合宿から帰った翌日に行われた。
高3夏に理転を決めて、1年の浪人を経て地元の有名私立大学に入学した「彼」。
たまに連絡を取っていたが、「彼」の入学以降は疎遠になっていた。
訃報を聞いてからも、式が始まってからも、実感なんて湧いてこない。
もうどこにもおらん、って何?冗談?…じゃないのはわかってるけど、でもよくわからない、、、そんな感じ
お別れの意を込めて、「彼」の顔を見た
思っていたより、穏やかな顔。
変な言い方かもしれないが、苦痛に歪んだ顔じゃなかったことに安堵した。
私と同じく、いや私以上に、「彼」も人間関係にはかなり悩まされてきた人だった。
元々いじられキャラ(好んでいたかはわからない)に加え、理転、浪人、親しい仲間との疎遠、その他諸々の環境変化…
いろんなことがあったのだろう。彼なりに苦しんでいたのだろう。
私はひとつ、後悔がある。
それはとりとめのない雑談の中
「大学決まったら、ご飯行こうや!」
って言った。
「ほーい 楽しみにしとくわ!」
って、「彼」からメールが返ってきた。
私は結局、この約束を果たせずじまいだ。
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あれから1年。
就活をし、TOEICをし、遊んでいたら、1年なんて本当に一瞬だった。
いまになって考える。
もし、私が「彼」と同じような環境で、孤独に苛まれ、自分の現状を酷く悲観していたら__そこに差し伸べられる手が仮にあっても、その手を掴めなかったならば__私にこの1年は訪れることがなかったのかもしれない。
なんて、考えてもどうにもならないことだけど。
もし私が、あの時なんとなく言い出した、ご飯に行く計画を果たしたならば。
「彼」の痛みを少し和らげることができたのかもしれない。
そうでなくとも、「彼」になんらかのプラスの影響を及ぼすことができたかもしれない。
高校時代に「彼」と一緒に過ごしたあの時間の借りを、あの景色の借りを、もう彼には返せない。
最近、高校の同級生と遊びに行った。
ある同級生の妹も、とあることで亡くなったと聞いた。
「彼」のような人は、おそらく他にもたくさんいるのだと思う。たまたま身近にいたのが「彼」だっただけで。
もっと広い視野で世界を見れば、紛争で命を落とす人がいて。飢餓や疫病に苦しむ人がいて。不治の病に侵される人がいて。
そう思うと、命ある限り生ききることは、誰もが当たり前にできることではないのかもしれないな、と思う。
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昔の感情は時を経ると薄れてしまうが、せめてここに文を記すことで「彼」のこと、あの朝練のことを、忘れないようにしたい。
当時、勉強もできず、コミュ障で、カーストの底辺にいた私を救ったのは、「彼」のいた朝練だ。
私の誘いに応じ、朝早くから来てくれた。
サーブの練習に付き合ってくれた。
私の渾身のストロークを完璧なドロップで返され、返せない私をみて笑っていた。
それが日常の風景。
高校時代で一番、目に焼き付いた情景。
頑張って生ききったら、あの世で「彼」になんて話そうか。
うん、まずは、
テニスに誘おうと思う。